消極的だった女の子が、いまは子どもたちの前に立つダンスの先生になりました。
愛知県安城市でキッズダンスクラスを担当する、ダンスインストラクターのaoi先生。保育士として働きながら、自分のクラスを持っています。
全3回のインタビュー、第1回は、ダンスとの出会いから大学時代まで。aoi先生を少しずつ変えていった、先生や仲間との時間を伺いました。
aoi先生ダンスインストラクターのaoiです。よろしくお願いします。
お腹の中にいた頃から、ダンスがそばに
LinoPodダンスとの出会いは、いくつの頃、どんなきっかけでしたか?
aoi先生私は、母のお腹の中にいる頃からマタニティビクスをしていたそうです。幼い頃は、父が流す洋楽に合わせて、家で踊るのが好きでした。そこからダンスに興味を持って、習い始めました。
LinoPodマタニティビクスのお話は、いつお母さんから聞いたんですか?
aoi先生大きくなってからです。そういう影響もあって、ダンスが好きになったのかなと、母と話しました。
LinoPod習う前は、家でどんなふうに踊っていたんでしょう。
aoi先生幼少期のビデオを見せてもらったら、自己流で、体が動くままに自由に踊っていました。両親も運動をしたり、家で音楽を聴いたり、ライブに行ったりしていました。習いに行きたいと思ったのも、そういう家族の影響があったと思います。
LinoPod習い始めたのは何歳の頃ですか?
aoi先生幼稚園の年中の頃です。ダンスだけでなく、いろんな習い事を見に行って、その中で自分が興味を持ったのがダンスでした。

「好き」の形は、年齢とともに変わってきた
LinoPod「私、ダンスが好きかも」と思った日はありますか? それとも、気づいたら大人になっていた感じですか?
aoi先生年齢や環境によって、楽しみ方や「好き」の気持ちは変わってきたと思います。幼少期は、夢中で踊ること自体が楽しくて。仲間と踊るようになってからは、チームワークの楽しさを知りました。社会人になってからは、仕事終わりに踊るのがリフレッシュになって。楽しい、好き、という気持ちのまま、自然とずっと続けてきました。

挨拶と交換ノートの先生
LinoPod幼少期に教わった先生で、印象に残っていることはありますか?
aoi先生技術はもちろんですが、まず挨拶や礼儀をしっかり教えてもらいました。発表会や大会にも出ていて、腹筋の回数やその日できたことをノートに書いて、先生と交換ノートをしていました。いろんなことを教えてもらいました。
LinoPod踊ることだけでなく、人として大切なことも教えてくださったんですね。
aoi先生いま思い出したのですが、私は消極的なところがあったんです。でも先生は、私の意見を聞いてくれたり、急にパッと質問してくれたりして。みんなの前で発言したり、自分の思いを言ったりするうちに、少しずつ自分を表現できるようになっていった気がします。
「みんなの前で発言するうちに、少しずつ自分を表現できるようになった」
LinoPod親以外の大人からそういうことを教わる経験は、とても貴重ですね。
aoi先生発表会やステージの経験を重ねてきたことも、消極的だった自分が少しずつ積極的になれたことに、つながっているのかなと思います。

30人の仲間と作った大学時代
LinoPod大学では、ダンスサークルの部長をされていたそうですね。
aoi先生はい。1・2年生のときは先輩がいて、3年生でちょうど先輩がいなくなったので、3・4年生と部長をしました。自分の代からは初心者の子も迎えて、「ダンスが好きな子たちと一緒にやろう」という方針にしました。
LinoPod何人くらいいたんですか?
aoi先生30人くらいです。いろんな意見がある中で、みんなの意見を聞いたり、チームを分けて「このカウントの振りはこの子に」と振付を作ってもらったりして、回していました。
LinoPod経験者と初心者では、ベースが違いますよね。どうやってまとめていったんですか?
aoi先生経験はみんな違いましたが、学校の施設でたくさん練習しました。
LinoPod青春ですね。
aoi先生みんなでやる楽しさを学べました。学園祭で踊っていたときに、豊明の消防団の応援団として踊ってほしいと声をかけていただいて。それから、消防のイベントにいつも出させてもらうようになりました。その経験が、自信ややりがいにつながったと思います。
インタビューを終えて
お腹の中にいた頃から、音楽が身近にあったaoi先生。
その歩みを伺うなかで、心に残ったのは、ダンスの技術や華やかなステージの経験以上に、一人の少女が少しずつ自分を表現できるようになっていった物語でした。
幼い頃は、どちらかといえば消極的だったというaoi先生。
そんなaoi先生の意見に耳を傾け、時にはふいに質問を投げかけ、自分の考えを言葉にする機会をつくってくれた先生がいました。
自分の思いを聞いてもらえること。
自分の考えを伝えてもいいと思えること。
その一つひとつが、きっと小さな自信となり、発表会やステージでの経験と重なりながら、自分らしく表現する楽しさへとつながっていったのでしょう。
そして、大学時代。
30人のダンスチームを率いる部長となったaoi先生は、仲間の意見に耳を傾け、振付の一部をメンバーに任せることも大切にしていました。
かつて自分の声を聞いてもらった少女が、今度は誰かの声に耳を傾け、その人の表現する力を信じる立場になっていたのです。
幼い頃、先生から受け取ったものが、時を経て、今度は仲間へと手渡されている。
人との関わりの中で育まれたものは、こうして次の誰かへとつながっていくのかもしれません。
保育士として働きながらも、「いつかダンスを仕事にできたら」という思いを、心の中に持ち続けていたaoi先生。
その思いは、決して突然生まれたものではなく、これまで出会った人たちや、積み重ねてきた経験の中で、少しずつ育ってきたものなのだと感じました。
そして今、aoi先生は、かつて自分がそうしてもらったように、誰かが自分らしく表現するきっかけを届ける側に立っています。
ダンスを教えるということは、振付や技術を伝えることだけではない。
一人ひとりの声に耳を傾け、その人が持っている可能性を信じることでもあるのだと、aoi先生のお話から教えていただいた気がします。
次回は、保育士から自分のクラスを持つまでの一歩、そして子どもたちにダンスを教えるうえで大切にしていることを伺います。
aoi先生がこれまで受け取ってきたものは、今、どのように子どもたちへとつながっているのでしょうか。
その続きを、ぜひ楽しみにしていてください。
LinoPod編集部




