「健康経営優良法人」認定への関心は、年々高まっています。2025年時点では、大規模法人部門の回答数は4,000社を超え、中小規模法人部門の申請数は23,000社を突破しました。とりわけ中小企業では、新設された「ネクストブライト1000」への挑戦が広がり、健康経営は一部の先進企業の取り組みから、より一般的な経営テーマへと広がっています。
一方で、評価の視点には明確な変化が見られます。
これまで重視されてきた「施策を実施したか」というプロセス評価から、「従業員の行動がどう変わったか」「数値にどのような変化があったか」というアウトカム評価へと、軸足が移りつつあります。女性の健康課題や高齢労働者の体力維持といったテーマも、より具体的な成果が求められるようになっています。
健康経営は、認定取得そのものを目的とする段階から、実際に組織に変化を生み出す段階へと進んでいるといえます。
なぜ今、オフィスで「身体」を動かすのか
― 脳科学と組織行動の接点 ―
働き方が多様化するなかで、社内コミュニケーションのあり方も変わっています。夜間の会食やアルコールを伴う場は、家庭事情や価値観の違いから参加が難しいケースも少なくありません。
そこで近年、注目されているのが「健康」という共通テーマを軸にした活動です。とくに身体を動かすプログラムは、科学的な裏付けがある点で安心感があります。
ダンスが持つデュアルタスク効果
ダンスは単なる有酸素運動ではありません。音楽を聴き、動きを見て、それを自分の身体で再現するという複数の処理を同時に行います。いわゆる「デュアルタスク」と呼ばれる活動です。
- 音楽のリズムを捉える聴覚処理
- 動きを把握する視覚処理
- 身体を協調的に動かす運動制御
これらが同時に働くことで、前頭前野を含む広い脳領域が刺激されます。
Kattenstrothら(2013, Frontiers in Aging Neuroscience)の研究では、ダンス介入が認知機能や感覚運動機能の向上につながる可能性が示されています。さらに、Rehfeldら(2018, Frontiers in Human Neuroscience)は、高齢者においてダンスが海馬容積の維持と関連することを報告しています。
デスクワーク中心の職場環境では、脳の使い方が偏りがちです。短時間でもリズム運動を取り入れることは、思考の切り替えや集中力の回復に役立つと考えられています。
音楽がもたらす心理的効果
音楽には、運動時の主観的な疲労感を和らげる作用があります。
Karageorghis & Priest(2012, Sports Medicine)は、音楽が運動中の疲労感を低減し、持久的パフォーマンスの向上に寄与する傾向を示しています。
リズムと身体の動きが同期すると、脳の報酬系が活性化し、ドーパミンの分泌が促されます。Tarrら(2015, Biology Letters)は、集団での同期運動がエンドルフィン分泌を高め、社会的結束を強めることを示唆しています。
「楽しい」という感覚が伴う活動は、自然と継続につながります。この自発性こそが、健康経営で重視される行動変容の鍵になります。
ダンスフィットネスが組織にもたらす作用
ダンスフィットネスの特徴は、運動強度を柔軟に調整できる点にあります。座ったまま行える軽度のプログラムから、心拍数を上げるカーディオ系まで設計が可能です。年齢や体力差に配慮しやすい点も導入しやすさにつながります。
重要なのは、上手さではなく「参加」です。スキルを競わない設計にすることで心理的ハードルは下がります。全員が同じ音楽を共有し、同じ空間で身体を動かす経験は、言葉だけでは生まれにくい一体感を育てます。
Wiltermuth & Heath(2009, Psychological Science)は、同期的な身体運動が協力行動を増加させることを報告しています。身体のリズムが揃うことで、心理的距離が縮まり、自然な協働が促されると考えられています。
ROIの再定義:守りから価値創出へ
これまで健康経営のROIは、医療費削減や欠勤率の低下といった「守り」の指標が中心でした。
しかし近年は、プレゼンティズムへの関心が高まっています。心身の不調を抱えたまま働く状態は、目に見えにくい生産性の低下を招きます。
心身の活力が高まることで、集中度やエンゲージメントが向上する傾向は多くの研究で示されています。短時間の身体活動を取り入れることは、業務効率や職場の雰囲気にも波及効果をもたらします。
健康施策は単体で完結するものではありません。組織文化やコミュニケーションと相互に影響し合いながら、じわりと変化を生み出していきます。そのため、成果測定も医療費だけでなく、活力度やエンゲージメント、部門間交流など多面的に捉えることが重要になります。
まとめ
健康経営は、単なる制度対応ではありません。人がよりよく働き続けるための環境づくりです。
身体を動かすというシンプルな行為は、脳を活性化させ、気持ちを整え、人との距離を縮めます。その積み重ねが、組織の雰囲気や生産性に静かに影響を与えていきます。
2025年以降の健康経営では、「取り組んでいる」という状態から、「変化が生まれている」という状態へと進むことが求められています。その一つの方法として、オフィスで身体を動かす取り組みは、現実的で継続しやすい選択肢の一つです。
